ポーランドに詳しい方ならすぐにピント来ると思いますが、今日のテーマであるグダンスクはポーランド北部の中心都市で、ヴィスワ川がバルト海にそそぐ河口のデルタ地帯に発達したグダンスク湾を臨んでいます。13~14世紀にはバルト海沿岸地域の貿易の窓口となり、ヨーロッパ北部経済圏を支配したハンザ同盟の一員として繁栄を誇った歴史を持っています。現在もポーランド北部の顔といえる歴史・文化・観光の拠点都市です。

ポーランドに詳しい方ならすぐにピント来ると思いますが、今日のテーマであるグダンスクはポーランド北部の中心都市で、ヴィスワ川がバルト海にそそぐ河口のデルタ地帯に発達したグダンスク湾を臨んでいます。13~14世紀にはバルト海沿岸地域の貿易の窓口となり、ヨーロッパ北部経済圏を支配したハンザ同盟の一員として繁栄を誇った歴史を持っています。現在もポーランド北部の顔といえる歴史・文化・観光の拠点都市です。
みなさん、こんにちは!
今日はワルシャワの野外ショパン・ピアノコンサートの話題です。
この2年間、コロナウィルスの流行で中断を余儀なくされましたが、今年はやっと待望のコンサートが5月15日に開催されました。これまで通り、毎日曜日に開催予定です。 続きを読む
皆さんはシチェチンSzczecinという名前を聞いたことがおありでしょうか?今日はこのシチェチンの風景をごらんください。ポーランドの北西角、西ポモルスキェ県の県庁所在地で、戦前にドイツ領だった時代はシュテッティンと呼ばれてきました。
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ほっこりノスタルジックなワルシャワの旅 – 今日は路面電車(トラム)のお話です。
みなさんはヨーロッパで最初に路面電車が走ったのはどこか知っていますか?
答えは1854年のパリ。その後ロンドンが1860年、ジュネーブ1862年、ペテルスブルク1863年、そして1865年にウィーンとベルリン、その1年後の1866年12月がワルシャワになります。
ワルシャワに初めて登場した元祖トラムは車両を馬が牽引するもので運賃はひとり15コペイカでした。その当時15コペイカがどういう価値があったかというと砂糖500グラムの値段だったそうですよ。レトロな馬のトラムは20世紀に入ると徐々に電化が進み、1908年春から16年の間にすべて電化へ切り替わりました。
ワルシャワに比較的早く路面電車が走るようになったのは、当時ポーランドを分割していた三か国の首都(ベルリン、ウィーン、サンクト・ペテルスブルク)への移動をスムーズにするためで、ワルシャワ市内に点在した終着駅の接続便として開業しました。下の写真はワルシャワ・ペテルスブルク駅(今のWarszawa Wileńska駅)とワルシャワ・ウィーン駅(現存せず)を結んでいたトラムです。
ワルシャワ・ペテルスブルク駅(現ワルシャワ・ヴィレンスカ駅)はヴィスワ川の右岸プラガ地区にあり、ペテルスブルク・ワルシャワ鉄道の西の終着駅でした。帝政ロシアでは線路に5フィート軌間が使われていたため、ヴィスワ左岸にあったワルシャワ・ウィーン駅までの接続としてトラムが活躍しました。ワルシャワ・ウィーン駅はワルシャワ・ウィーン鉄道の駅で軌間は1435ミリだったのです。その昔の名残で、1948年まではワルシャワの路面電車の7.6キロメートル分が1525ミリの幅になっていましたが、のちにすべて1435ミリに統一されて今に至っています。
150年以上もの間ワルシャワで市民や旅行者の足となってきたトラムは飛行機よりも自動車よりも歴史がある乗り物です。ワルシャワに立ち寄ることがあれば、トラムで歴史巡りのワンデートリップを楽しんでみてはいかがでしょうか?
ワルシャワの町のシンボルは人魚です。アンデルセンの童話のイメージとははるかにかけ離れたイメージで、凛としたクールな表情に、盾を持ち、剣を振りかざしているのがワルシャワの人魚。今日はこの人魚にまつわる伝説をご紹介しましょう。
昔、ワルシャワが小さな集落だった頃のお話です。村にはそばを流れるヴィスワ川で漁をして生計を立てていた男たちがたくさん住んでいました。この川には魚だけでなく、美しい亜麻色の髪をした人魚が棲みついているともっぱらの噂となっていました。
ある日のこと人魚がバルト海からヴィスワ川をさかのぼって、この村までやってきました。そして川岸の砂の上で心地よさそうにひとやすみして、あたりをふと見まわしたところ、なんとも素敵な場所であることに気が付きました。
『あら、なんてすてきなところなのかしら』
すっかりその土地が気に入った人魚は漁師たちが仕事をしているのを見物したり、静かな場所で泳いだり遊んだりして過ごし、夕闇が迫ってくると静かに川のなかに潜って眠るという日々を送っていました。
お茶目な人魚はこういう淡々とした生活にすぐに退屈してしまい、ある日漁師の仕掛けた網にちょっといたずらをして、かかっていた魚を逃がしてしまいました。
「魚を逃がすやつがいる!さては人魚か、痛い目にあわせてやる!」
人魚の仕業だと気づいた漁師たちはカンカンです。
ぷんぷん腹を立てる漁師を見てすっかり愉快になった人魚は、鈴のような声で笑い転げていました。そしてその後も何度もひどい目にあわされた漁師は、いたずら者の人魚を捕まえて懲らしめようと考えました。
人魚はといえば、そんな漁師の怒りを知る由もなく、次はヴィスワ川の物語を歌にして口ずさみはじめたのでした。うるわしい歌声には人も動物もだれもが惚れ惚れしてぞろぞろと集まってきました。ビーバーは巣から顔をぴょっこりと出してうっとり。カラスも川に浮いた木の上にで羽根を休めてじっと聞き入っていました。
最初は人魚に思い知らせてやると息巻いていた漁師たちも、この世の物とは思えない美しい声にすっかり魅せられてしまい、最後はこれまでのいたずらを堪忍してやることになったほどでした。
ところが、その様子をこっそり陰から見ていたのが村のよくばり商人だったのです。
「へへ、この歌声でひと儲けしてやろうじゃないか…」
親切そうなふりをした人魚に声をかけた男は、突然彼女を木箱に閉じ込めてどこかに連れて行こうとしまいました。
囚われて悲嘆にくれる人魚の悲しい歌声は、水の流れにから川面のもや、そして水辺の草に絡まるように広がって行きました。かずかに聞こえる悲しい声で窮地を知った村の若い漁師は、腹黒い商人の企みに気づいて仲間といっしょに美しい声の主を救いだし、川に帰してやりました。
自由になった人魚は人間の恩に感謝して、いつかワルシャワが危機に見舞われた時には今日の御恩を忘れずに馳せ参じて守ることを約束すると、ゆっくりと水の中に消えてゆきました。その約束通り、今でも人魚は剣と盾を手にしてワルシャワの街を変わることなく守ってくれているのです。
ワルシャワの旧市街広場にある人魚の像を一度注意してごらんください。そう、ヴィスワの河畔にも街を守るために右手で剣を振り上げ、左手には盾を持った人魚の像がありますよ。ここは前にあるプロムナードを川沿いに散歩できるなかなか素敵なスポットです。

ある日のこと人魚がバルト海からヴィスワ川をさかのぼって、この村までやってきました。そして川岸の砂の上で心地よさそうにひとやすみして、あたりをふと見まわしたところ、なんとも素敵な場所であることに気が付きました。
『あら、なんてすてきなところなのかしら』
すっかりその土地が気に入った人魚は漁師たちが仕事をしているのを見物したり、静かな場所で泳いだり遊んだりして過ごし、夕闇が迫ってくると静かに川のなかに潜って眠るという日々を送っていました。
お茶目な人魚はこういう淡々とした生活にすぐに退屈してしまい、ある日漁師の仕掛けた網にちょっといたずらをして、かかっていた魚を逃がしてしまいました。
「魚を逃がすやつがいる!さては人魚か、痛い目にあわせてやる!」
人魚の仕業だと気づいた漁師たちはカンカンです。
ぷんぷん腹を立てる漁師を見てすっかり愉快になった人魚は、鈴のような声で笑い転げていました。そしてその後も何度もひどい目にあわされた漁師は、いたずら者の人魚を捕まえて懲らしめようと考えました。
人魚はといえば、そんな漁師の怒りを知る由もなく、次はヴィスワ川の物語を歌にして口ずさみはじめたのでした。うるわしい歌声には人も動物もだれもが惚れ惚れしてぞろぞろと集まってきました。ビーバーは巣から顔をぴょっこりと出してうっとり。カラスも川に浮いた木の上にで羽根を休めてじっと聞き入っていました。
最初は人魚に思い知らせてやると息巻いていた漁師たちも、この世の物とは思えない美しい声にすっかり魅せられてしまい、最後はこれまでのいたずらを堪忍してやることになったほどでした。
ところが、その様子をこっそり陰から見ていたのが村のよくばり商人だったのです。
「へへ、この歌声でひと儲けしてやろうじゃないか…」
親切そうなふりをした人魚に声をかけた男は、突然彼女を木箱に閉じ込めてどこかに連れて行こうとしまいました。
囚われて悲嘆にくれる人魚の悲しい歌声は、水の流れにから川面のもや、そして水辺の草に絡まるように広がって行きました。かずかに聞こえる悲しい声で窮地を知った村の若い漁師は、腹黒い商人の企みに気づいて仲間といっしょに美しい声の主を救いだし、川に帰してやりました。
自由になった人魚は、人間に感謝して、いつかワルシャワが危機に見舞われた時には、この恩義を忘れずに馳せ参じて街を守ることを約束すると、ゆっくりと水の中に消えてゆきました。そのためワルシャワの人魚は剣と盾を手に、ワルシャワの街を変わることなく守ってくれているのです。
ワルシャワの旧市街広場にある人魚の像を一度注意して見てください。剣を振り上げているでしょう? ヴィスワ川のプロムナードにも人魚の像がありますよ。( 下の写真)
例年5月半ばから開催されるワルシャワ・ワジェンキ公園のショパン野外ピアノコンサートですが、今年はワルシャワ市の協力でワジェンキ公園内オランジェリーにてピアノコンサートを実施し、オンライン配信をすることになりました
続きを読む在ポーランド日本大使館からのお知らせにワルシャワ→成田の特別便が運航するという情報がありました。日本への帰国を希望されている方に広く知っていただくため、情報をシェアしたいと思います。詳しくお知りになられたい方、お問い合わせがある方は下記の在ポーランド日本大使館領事班へお問い合わせください。
続きを読む今秋ワルシャワで開催予定の第18回ショパン国際ピアノコンクールが2021年10月に延期となりました。この機会にポーランドへの旅行を予定されていた旅行者の皆様やショパンコンクールを組み込んだ商品を造成されていた旅行会社の皆様には大変残念なお知らせになりますが、現在進行形のコロナ禍のため、やむを得ない選択となりました。
続きを読むワルシャワからクラクフ、ザコパネとショパンからポーランドの緑豊かな山の街のバイオリン工房の訪問や人々との交流までたっぷりと旅行に行った感覚でお楽しみいただける番組です。
思い返せばこの撮影のお話があったときにロケ地の選定などいろいろとアイデアをご提供させていただき、もうすぐ放送日を迎えることになりとても感慨深く思います。南ポーランドのポトハレ地方の弦楽器製作専攻科がある学校とその学科の創設者についてなど、関連情報を調べて行くなかでこれまで知らなかったことがいくつもでてきて大変勉強になりました。
日本からの取材でポーランドと音楽いえばショパンの域をでることが少なく、今回の番組は音楽に興味がある方、また旅に出てみたいといわれる方、ただ世界について知りたい方にも十分応えられる内容になっていると思います。ぜひごらんくださいね。
ワルシャワ空港に着いた時に、私は荷物を二つ持っていました。スーツケースとバックです。
どちらも成田で預けてワルシャワで受け取ったのですが、とりあえず外回りを点検して(スーツケースの破損などは外に出る前にチェックをして、破損のある場合は空港で書類をもらわないと保険の手続きができません。)さっさと外に出てきました。この日は、飛行機が到着してから荷物を受け取るまで1時間15分かかりました。記録的な遅さでした。
その後、知人宅についてから荷物を開けてびっくり。バッグの中に入れてあった金色の包装紙のおせんべいはきれいなパッケージが破かれていました。ついでにアディダスの買い物袋に入った預かりもののプレゼントまで穴があけられていました。
最近、ショパン空港でのこういう被害(スーツケースのカギが壊されるなども)が増えているそうです。みなさんも、海外旅行保険にご加入いただき、いざとなった時は税関審査を出る前にご搭乗の航空会社カウンターに申し出て、被害状況を書いた用紙をもらいましょう。これがないと航空会社の保証も海外旅行保険の請求もできません。
対策としては、空港でやっているスーツケースのラッピングが効果的です。傷を防ぐだけでなく、盗難のためにも効果がありますのでご心配な方はお試しください。サービスを使わずに自分でラップを買って行って、空港で巻くという方もいらっしゃるそうです。
私はクラクフ空港で左のようなラッピングしてもらいました。値段は50ズウォティ(1500円程度)です。クラクフの場合、インフォメーションの裏、エスカレーターの裏側にラッピングサービスがあります。ワルシャワもチェックインカウンターのある階の出入り口に近い場所に同様のサービスがあります。