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8月はヤヴォルの「パンとピェルニク祭り」

ポーランドの南西部にある小都市ヤヴォルJaworは世界遺産の平和教会で知られていますが、じつは伝統あるパンの町としても有名で、毎年夏になるとパンとピェルニク祭りŚwięto Chleba i Piernika が開催されています。ピェルニク(ジンジャーブレッド)は、シナモンやスパイス類を調合して生地に加えた伝統の焼き菓子で、ショパンも大好きだったといわれます。

ヤヴォルのパンとピェルニク祭りfot.burmistrz Miasta Jawora Emilian Bera

この「パンとピェルニク祭り」は、700年の歴史が培った食文化の伝統を体現したお祭りです。
ヤヴォルのパン作りは昔から広く知られており、その味はこのドルヌィ・シロンスク地方の無形の遺産であり、また地元の人々の文化、アイデンティティの一部となっているといっても過言ではありません。
国際パン見本市に続いて開催される「パンとピェルニク祭り」では熟練したパン職人が種類や味、焼き方も千差万別の手作りパンを披露。工場で大量生産されるパンとは一線を画した、素材のうまみと香ばしい奥深い風味。そして適度な歯ごたえと柔らかさが作りあげる絶妙なハーモニーは感動もの。そんなパンは、一度食べたら病みつきになるおいしさ!とくに焼きたてのまだ温かいパンはおいしすぎて何もつけなくてもいただけますよ。

シナモンやスパイスの香りがしてきたら、そこはピェルニクの世界を体験できるゾーンです。16世紀から受け継がれていたレシピと匠技の手の込んだ装飾、そして何よりもその味わい。プロが作るアニメキャラクターや動物、花などのジンジャブレッドはじつにみごとで、ピェルニクの絵付け体験コーナーもあり、自分だけのオンリーワンの作品を作ることができます。

会場は世界遺産の平和教会からも歩いて数分なので、夏の旅行をご予定ならぜひおすすめしたいイベントの一つです。

開催日時|2023年8月25日~27日
場所|ヤヴォルの旧市街広場

ヴロツワフからシフィドニツァへの路線検索はこちらから

ポーランド政府観光局記事 世界遺産ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群
ヤヴォルで必ず訪れたい場所はここ。17世紀半ばのキリスト教の宗教紛争の終結と平和の象徴として建てられた教会で、外観の質素さからは想像もできない豪華絢爛な内部には圧倒されます。

数千人もの信者が入ることができる巨大な建造物には石や金属は一切使われていない。  写真:升谷玲子

平和教会は漆喰と木材などを利用してわずか1年の間に築かれたプロテスタントの教会                        撮影 升谷玲子

ティトゥス・ブジョゾフスキの世界!旅心キューンのファンタジックな街並み

こんにちは。今日はみなさんにポーランドの新進画家ティトゥス・ブジョゾフスキさんの世界をご覧いただきたいと思います。
絵のテーマになっているのは東ポーランドの珠玉の都市ルブリン、ザモシチ、プシェミシルです。
どこもユニークな建物やモニュメントなどをファンタジーあふれるブジョゾフスキさんの作品の元になった都市も画像を入れてご紹介していますので、ぜひ最後までごらんください。
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中世からの歴史を感じて…クラクフを知る

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中央広場と聖マリア教会(左)

 

クラクフはポーランドが世界に誇る「古都」で、歴史的建造物群という観点からの都市だけではなく、この町にある空気から、人々の気質までを含めて有形無形の文化財の宝庫と言っても過言ではないでしょう。ユネスコ世界遺産の登録が始まった初年度にクラクフは世界から選ばれた12の場所のなかに入ったという世界遺産のなかの世界遺産なのです。

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ヴィスワ河畔のヴァヴェル城

中世からの歴史と古い街並み、数多くの美術館、博物館を持つこの町は、ポーランド歴代国王の住まいでもあり、長きにわたりポーランド文化の発信地となってきました。国王の居城で、戴冠式の場であったヴァヴェル城、ヴィト・ストフォシュ作の見事な祭壇を備えた聖マリア教会、ポーランド最古のヤギェウォ大学、さらにヨーロッパ最大級の中央広場は世界遺産に指定されたクラクフ歴史地区の中にあります。また、クラクフを語る上で忘れられないユダヤ系住民が独自の文化と伝統を培ってきたカジミェシュ地区もゆっくりまわってみたいみたいエリアです。

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14世紀創立のヤギェウォ大学コレギウム・マイウス

歴史地区には中世の都市計画に従って建てられた建物がそのまま残っています。旧市街をぐるっと囲む遊歩道のようなプランティ公園は、かつて市街地を囲んだ防壁の位置を教えてくれます。フロリアンスカ門、見張りのためのやぐらやバルバカンなどはその当時の堡塁の名残なのです。
だれかと待ち合わせたり、偶然出会って話し込んでしまったり、出会いの場所といえば何よりも歴史地区の中央広場を挙げることができます。広場には織物会館、聖マリア教会、聖ヴォイチェフ教会、旧市庁舎があり、広場の周囲を囲むのは、ほぼ中世そのままの姿を保っている美しい石造りの中層建築群です。

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聖マリア教会内ヴィト・ストフォシュ作の聖壇

小高い丘の上にそびえるヴァヴェル城は私達日本人がよくイメージする丘の上のお城そのものです。ポーランドの歴史とポーランドの人々にとって何よりも特別な場所であり、歴史の中の栄光とかつての強大なポーランド共和国を象徴するものといえます。16世紀初頭ルネサンス様式の建築で、城が所蔵する多くのコレクションのなかでも圧巻なのはルネサンス期にブリュッセルの織物工房で製造されたタペストリーの数々で、これは見逃せません。

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王の道と呼ばれたフロリアンスカ通り

語り尽くせない魅力にあふれるクラクフ。一度訪れるとまた来たくなる、リピーターの多い町ですが、なぜここを再訪したくなるのかは、クラクフの街の魅力を体験した旅人の瞳を見れば明らかです。この町の人達とのふれあい、文化や歴史、味覚やアトラクションを心まで満喫し、去りがたい思いを抱えて帰ってゆく、そう言ってもよいと思います。
毎年開催されるベートーヴェン音楽祭、ユダヤ文化フェスティバル、短編映画祭、国際大道芸フェスティバル、そして古きよき時代へのノスタルジアにあふれるクラクフ音楽祭、クリスマスマーケットは、「クラクフ系」と呼びたくなるほどクラクフらしい評価の高いイベントです。

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カジミエシュのユダヤ寺院

「クラクフ系」とはどういったものでしょうか?
たとえば、カロル・フリチがデザインした1911年完成の歴史的カフェ、「ヤマ・ミハリカ」にぜひ入ってみてください。その答えはおのずとわかってくるはず。アール・ヌーヴォーの内装はまるで世紀末のパリのムード、でもウィーン風の朝食を食べながら交わされる会話は「クラクフ系」。
そう、芸術、文学、そして恋についての話題は尽きることがないのです。

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カフェ・ヤマミハリカJama Michalikaのステンドグラス

コロナ禍が落ち着いたらクラクフにお出かけになってみませんか? 暮らすように旅する体験を最低2,3日おすすめします。するときっと「クラクフ系」の意味がおわかりになると思います。
ポーランドへは成田からLOTポーランド航空が運航中で、8月7日現在日本人の入国制限は行われていません。また、入国後の14日の隔離も免除されています。

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いつでもフォトジェニック…クラクフ歴史地区

 

クラクフのシンプルで格安なスチューデントホテルはいかが?

ホテルはシンプルでいいという方にはスチューデントホテルがおすすめです。
たとえば、こちらは一例ですが、ほかにも3か所にあります。中欧でプラハ大学に続き歴史を誇るクラクフ・ヤギェウォ大学やクラクフ工科大学など市内には数多くの高等教育機関があり、学術都市としても知られるクラクフ。学生のための寮も充実しています。その施設を利用したのがスチューデントホテルです。

例えばこのホテル ビドゴスカではルームチャージもツインで100ズウォティ(約3000円)からと格安です。

★★ホテル ビドゴスカ

館内の改修工事が終わったばかりでとてもきれいなホテルです。

  • 改装済みのシャワーが各室完備
  • クラクフ中心部へのアクセス良好!
  • 館内にレストラン „EDEN”があります。
  • 周囲には緑が多く、環境も絶好です。.

お問い合わせはホテルに直接どうぞ!(英語)
Hotele Studenckie w Krakowie (合計4つのホテルがあります)
BYDGOSKA ul. Bydgoska 19, 30 – 056 Kraków
Tel. +48 (12) 36-36-100, Fax. +48 (12) 36-36-200
www.hotelestudenckie.pl

ビャウォヴィエジャ原生林の伝説のヨーロッパバイソン

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「ビャウォヴィエジャ」という名称はお酒の好きな方なら、きっと一度はどこかごらんになったことがあるズブロッカというウォッカにゆかりの土地です。実は、この名前はこのビャウォヴィエジャ原生林のジュブル(ヨーロッパ・バイソン)に由来するのです。ウォッカのなかに香草が一本入っていますが、それはバイソングラスといわれるビャウォヴィエジャ産の香草でズブロッカ特有の芳醇な、まるで桜餅のような香りを出しています。
ウォッカのラベルになっている野牛は、かつては欧州各地に生息していました。1万5千年以上も前のアルタミラやラスコーの洞窟にも描かれているほどで、本当にどこでも見かけられた野牛でした。しかし、中世以降の乱獲が原因で20世紀初頭には絶滅の危機にさらされるようになり、第1次世界大戦前には700頭を数えるのみとなり、1919年に、ビャウォヴィエジャ原生林のジュブルは死滅しました。当時、かろうじて生き残ったヨーロッパ・バイソンの数は世界中でわずか54頭となり、その中から純粋種のものを20余年にわたって人工繁殖を試みた結果、1952年に最初の新生ジュブルをビャウォヴィエジャの森に帰すことに成功しました。現在、世界に約4000頭しかいないヨーロッパバイソンの25%ほどがポーランド領に生息しています。

ポーランドとベラルーシの国境に広がるビャウォヴィエジャ原生林は総面積1500㎢。そのうち東京都23区の面積とほぼ同じ625㎢がポーランド側にあります。ここはジュブルの故郷であるだけではなく、多くの動植物のサンクチュアリとしても知られています。1000種を超える維管束植物、蘚苔類200種、地衣類300種、昆虫8500種、鳥類250種、哺乳類300種もの植物や動物が、太古から変わらぬ環境にある森で生きているのです。

この原生林が今日まで守られてきた経緯にはなかなか面白いものがあり、ビャウォヴィエジャ国立公園内の宮殿公園にその鍵があります。宮殿建築自体は1944年に焼失してしまいましたが、かつては歴代のロシア皇帝が狩のために使用していた宮殿がかつてはそこにあり、古い写真を見ると50ヘクタールの庭園と付属の建物に囲まれた立派な建造物であったことがわかります。ビャウォヴィエジャ原生林は20世紀初めまでこの宮殿の所有者であったロシア皇帝の狩場として保護されていたことにより、開発や開墾が一切行われずに昔のままの姿を保つことができたのです。
国立公園としてのビャウォヴィエジャの歴史は、1919年に研究者を中心にした調査団が、ジュブルの生息の確認に乗り出したことから始まりました。その際にジュブルの生存は確認できなかったのですが、保護区として原生林を保護すべきだという提案がなされました。1921年に国立公園の国際基準を満たす「森林保護区」が指定され、実質的な国立公園の誕生となりました。その後、1932年には名称がビャウォヴィエジャ国立公園に変更され、現在に至っています。

朽ち果てた木々も人の手は一切加えず、自然の摂理に任せている

今日のビャウォヴィエジャ国立公園は、全体のほぼ半分が特別保護区に指定されており、特別保護区には厳しい立ち入り制限が敷かれています。そのため、観光客は人の立ち入りが可能な定められたルート内での散策をすることになっています。ここの原生林は、かつてポーランドをふくむヨーロッパの低地部を覆っていた巨大な原生林が今日まで残ったものといわれており、その特徴は一般に針葉樹の多いヨーロッパの森と異なり、全体面積の2/3が広葉樹林であるということです。さらに、ベラルーシの〈ビェラヴィエシュスカヤ原生林〉国立公園とともに国境をまたいだユネスコ世界遺産であることと同時に世界生物圏保護区(MaB計画)の指定を受けていることも大きな特徴のひとつといえるでしょう。国境を越えた世界遺産は、世界に7ヶ所、ヨーロッパには3ヶ所しかありません。ビャウォヴィエジャ国立公園内には自然森林博物館や希少動物の飼育センターもあり、そこでは放し飼いされているジュブルにも出会えます。

四季を通じてそれぞれ違った表情を見せてくれるビャウォヴィエジャ国立公園は、自然への回帰を求める現代人の希求を十二分に満たしてくれる場所ですが、さらにポーランドの内陸部とは異なったエキゾチックな景観や民俗文化、人の手と木の温かさがあふれる建築などの文化的興味を満たしてくれる魅力もたっぷりです。

公園内には2つの宿泊施設があり、近くの村には民宿やペンションなど、気軽にロングステイが楽しめる宿泊施設も多く、ここではちょっと長めのバカンスをゆったりと楽しんでみたいところです。旅のベストシーズンは5月から9月末までですが、秋も深まる10月は「ポーランドの黄金の秋」と呼ばれる季節。あちらこちらの広葉樹の葉が黄金(こがね)色一色に染まり、秋の陽を浴びながらキラキラと舞い落ちる様は圧巻です。