投稿者「ポーランド政府観光局」のアーカイブ

ポーランド政府観光局 について

ポーランド政府観光局の局長補佐が旅のテーマをメインにポーランドに関する情報や日々のいろいろなエピソードをお届けします。 インスタグラムとツイッターもぜひフォローしてくださいね! http://instagram.com/polandtravel_jp https//twitter.com/polandtravel_jp

8月はヤヴォルの「パンとピェルニク祭り」

ポーランドの南西部にある小都市ヤヴォルJaworは世界遺産の平和教会で知られていますが、じつは伝統あるパンの町としても有名で、毎年夏になるとパンとピェルニク祭りŚwięto Chleba i Piernika が開催されています。ピェルニク(ジンジャーブレッド)は、シナモンやスパイス類を調合して生地に加えた伝統の焼き菓子で、ショパンも大好きだったといわれます。

ヤヴォルのパンとピェルニク祭りfot.burmistrz Miasta Jawora Emilian Bera

この「パンとピェルニク祭り」は、700年の歴史が培った食文化の伝統を体現したお祭りです。
ヤヴォルのパン作りは昔から広く知られており、その味はこのドルヌィ・シロンスク地方の無形の遺産であり、また地元の人々の文化、アイデンティティの一部となっているといっても過言ではありません。
国際パン見本市に続いて開催される「パンとピェルニク祭り」では熟練したパン職人が種類や味、焼き方も千差万別の手作りパンを披露。工場で大量生産されるパンとは一線を画した、素材のうまみと香ばしい奥深い風味。そして適度な歯ごたえと柔らかさが作りあげる絶妙なハーモニーは感動もの。そんなパンは、一度食べたら病みつきになるおいしさ!とくに焼きたてのまだ温かいパンはおいしすぎて何もつけなくてもいただけますよ。

シナモンやスパイスの香りがしてきたら、そこはピェルニクの世界を体験できるゾーンです。16世紀から受け継がれていたレシピと匠技の手の込んだ装飾、そして何よりもその味わい。プロが作るアニメキャラクターや動物、花などのジンジャブレッドはじつにみごとで、ピェルニクの絵付け体験コーナーもあり、自分だけのオンリーワンの作品を作ることができます。

会場は世界遺産の平和教会からも歩いて数分なので、夏の旅行をご予定ならぜひおすすめしたいイベントの一つです。

開催日時|2023年8月25日~27日
場所|ヤヴォルの旧市街広場

ヴロツワフからシフィドニツァへの路線検索はこちらから

ポーランド政府観光局記事 世界遺産ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群
ヤヴォルで必ず訪れたい場所はここ。17世紀半ばのキリスト教の宗教紛争の終結と平和の象徴として建てられた教会で、外観の質素さからは想像もできない豪華絢爛な内部には圧倒されます。

数千人もの信者が入ることができる巨大な建造物には石や金属は一切使われていない。  写真:升谷玲子

平和教会は漆喰と木材などを利用してわずか1年の間に築かれたプロテスタントの教会                        撮影 升谷玲子

東京でポーランド語を学ぶこどもたち

今日は大使館付属ポーランド語補習校でお話を伺ってきました。 日本にこういう学校が日本にあることを皆さんはご存知でしたか?

この学校はポーランド大使館付属ヤヌシュ・コルチャック記念ポーランド語補習校といいます。日本に住むポーランド国籍の子どもたちや両親の片方がポーランド出身の家庭の子どもたちがポーランド語や文化を忘れないために2008年に創立された学校で、言語の運用を中心に生徒の年齢に合わせた指導を行なっています。

授業は中目黒で1か月に2回あり、ポーランドで現地校に通い帰国したお子さん、またこれからポーランドに着任される日本の家庭の子どもも受け入れを行っています。その他の場合もお問い合わせいただければとのことです。

現在5歳児から17歳までの生徒が、ネイティブの先生の指導で楽しく勉強しています。 なんとなく寺子屋を思わせる家庭的な温かい雰囲気の学校です。

お勉強は1回約2時間。中学校生以上ならオンライン学習(1回75分)も選べるので地方にお住まいの方も参加しやすいと思いました。

年間に季節に合わせて色々な行事があり、子どもたちもとても楽しみにしています。こちらの写真は学校の遠足のワンシーンで、去年は箱根に行ってきたそうです。

大涌谷に行きました!

授業料は月2000円、オンラインの場合は月3000円で前納になります。(都合がつかない時の振替も可。)オンラインのプライベートレッスンについては個別にメールでご相談ください。

みんなで「はいチーズ♪」

 今日は知ってるようで知らなかったポーランド語補習学校をご紹介しました。🇵🇱
お問い合わせ、見学希望等は下のE メールアドレスに直接ご連絡ください。🙂

   E-mail: szkola.tokio@gmail.com

 

ピアノから大空へ女性パイロット  ヤニーナ・レヴァンドフスカ

 

ヤニーナ・アニトニーナ・ドヴボル=ムシニツカは、1908年4月22日にハルキィエフに生まれました。
父はポーランドのサンドミエシュ出身で、日露戦争にも従軍したことのある帝政ロシア軍の中将、後年ポーランド軍の総司令官ともなったユゼフ・ドヴボル=ムシニツキ。そして母のアントニーナは類まれな音楽の才に恵まれた女性でした。 

1918年に帝政ロシアが崩壊すると一家はポーランド西部ヴィエルコポルスカ県に移住。幼いころから母親から音楽の英才教育を受けていたヤニーナはポズナンの名門女子高等学校に通い、続いてポズナン音楽院でピアノと声楽を学びました。
スキーや乗馬が好きで、高校生の頃からは当時世間から注目を浴びていた飛行機にも深い関心を持ち始めていました。

音楽院在学中にポズナン公演を予定していた劇団と歌手として出演する話が持ち上がりましたが、その広告の中に娘の名を見つけた父の逆鱗に触れてしまった事が彼女のその後の運命を変える転機になりました。
 得体の知れない三文劇団にドヴボル=ムシニツキ家の名が出るとは何たることと厳しく咎める父に納得がゆかず、卒業寸前に音楽院を退学。
そして、当時は将軍家の子女の仕事ではなかった郵便局勤めを始めて、自活を試みた時期もありました。
 じつは給料よりも職場で使われていた無線と電信技術が学べることがこの職場の大きなメリットでした。飛行機に乗るという夢に近づくための第一歩!パイロットになるためにはこういった技術に関する知識が欠かせなかったのです。

ヤニーナは大空を飛ぶ日を夢見て、ポズナン郊外のワヴィツェ空港に暇があれば通っていました。飛行クラブに所属し、最初はグライダー、そしてついには飛行機の操縦免許を取得しました。やがてポーランド軍に配備されていたRWD8型機の操縦訓練に取り組み、この型の飛行機を乗りこなす数少ない女性パイロットとして、さらにヨーロッパでは女性初の高度五千メートルからのパラシュート降下に成功した人物としてその名が知られるようになりました。 

今度ばかりは父親も頭ごなしに叱る理由をみつけられず、「パラシュートで飛び降りるようなジャジャ馬娘など、嫁の貰い手もないだろう」とぼやいていていたと言われます。 

しかし間もなく気の合う飛行機野郎、ポーランド軍の中佐ミェチスワフ・レヴァンドフスキが現れます。1939年6月に2人は結婚し、別々の町にあった旧居の処分や新居の準備、また9月にワルシャワで開催されることになっていたグライダー選手権大会への出場に向けて短い夏を奔走していました。
世の中にはドイツがポーランドへ今にも侵攻するのではという噂が広がり、不穏な空気が張りつめていました。この不吉な予想は現実となり、8月末にはついに予備役の軍人に召集がかかったのでした。

開戦3日目の9月3日、少尉の軍装に身を包んだヤニーナは、小さなトランクを持つと指定の部隊に合流するために飛行クラブの仲間3名とともにポズナンを発ちました。その日、ほぼ入れ違いで帰宅したミェチスワフはヤニーナが駅へ向かったと知って大急ぎで後を追いましたが、列車は目の前で発車。それが2人の永遠の別れとなりました。

ヤニーナと仲間3名はポーランド東部へ移動中のポズナンの第3航空基地の一隊に出会い、彼らと行動を共にし、5日後にはポーランド東部の町ルブリンを経てフシャティン(現ウクライナ領)に到着しました。しかし、9月17日にはソ連軍が東部国境を越えて突然ポーランドに侵入。そのため部隊は南ポーランドへ向かう命令を受けて移動したものの、ソ連軍に包囲され、指揮官は降伏して、投降するという苦渋の決断をしました。

こうして捕虜となった将兵のなかにヤニーナ・レヴァンドフスカも入っていました。ソ連のオシタコフ捕虜収容所を経て、1939年12月にコジェルスク捕虜収容所に移されます。ポーランド人捕虜はNKVDによる厳しい取り調べと身元の調査が行われており、反共産主義者、帝政ロシアの軍人で、ロシア革命後は共産主義に反対する白軍を率いて戦ったユゼフ・ドヴブル=ムシニツキ将軍の娘であると即ばれなかったのは奇跡と言われています。

2万数千のポーランド軍将校が虐殺されたカチンの森の事件の中で唯一見つかったと女性の遺体。

ヤニーナ・レヴァンドフスカが亡くなったは1940年4月22日。奇しくも彼女の32回目の誕生日のことでした。

 

 

ポーランド観光セミナー&ワークショップを開催いたします

9月22日から25日まで東京ビッグサイトで年に一度のツーリズムEXPOが開催されます。
ポーランドもヨーロッパ旅行協議会のなかに出展しますので旅行に興味がある皆さん、ぜひお越しくださいね。一般公開日は24日、25日になります。

さて、以下は、旅行業界関係者の方限定の情報になります。

9月22日の業界日にLOTポーランド航空および現地サプライヤーの協力を得て、ポーランド観光セミナー&ワークショップを開催いたします。海外旅行再開に向け、セミナーの部では、豊かな自然とフォークロア、歴史・文化遺産に恵まれたポーランドの魅力的、注目のデスティネーションをご紹介させていただく予定です。
また、ワークショップでは弊局のほか、LOTポーランド航空、実績あるランドオペレーター各社と日本語でご商談いただけます。業界の皆様のお申込みを心よりお待ち申し上げております。                       ■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■
      ポーランド観光セミナー&ワークショップ ■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

予約制・参加無料
2022ポーランド観光セミナー&ワークショップご案内 PDF
オンラインお申込みフォームはこちら

開催日時 2022922日(木)1416時 (受付13:45より)申込締切   2022916日  但し、50名様に達し次第締め切りとさせていただきます。 

会    場          東京ビッグサイト101会議室(ツーリズムEXPO会場)

参加団体・企業 Furnel Travel International
LOT
ポーランド航空
                            Melody Tours
                            ポーランド政府観光局・主要6都市共同 (順不同)※オンラインフォームで申し込みができない方は、御社名・ご所属・電話番号・お名前をご記入の上、件名に「9/22参加申し込み」とご記入いただき、info.jp@poland.travelまでお送りください。————————————————————————————————–

次の観光資料は無料でダウンロードができます。

●ヴロツワフ
3日で歩くヴロツワフ

●ワルシャワ
luxury_warsaw_2a
こどもと楽しむワルシャワ
CLASSICAL WARSAW

欧州ゴシックレンガ街道を歩く – グルジョンツの旧穀物倉庫群

グルジョンツは、トルンからヴィスワ川を下り、グダンスクに行く途中にある人口9万人ほどの都市で、あたかも城壁のように見える中世ゴシックレンガ造りの穀物倉庫群(13世紀から17世紀)で有名です。
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魅力いっぱいのグダンスク

ポーランドに詳しい方ならすぐにピント来ると思いますが、今日のテーマであるグダンスクはポーランド北部の中心都市で、ヴィスワ川がバルト海にそそぐ河口のデルタ地帯に発達したグダンスク湾を臨んでいます。13~14世紀にはバルト海沿岸地域の貿易の窓口となり、ヨーロッパ北部経済圏を支配したハンザ同盟の一員として繁栄を誇った歴史を持っています。現在もポーランド北部の顔といえる歴史・文化・観光の拠点都市です。

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ショパンの足あとが残るゴルブ城は古城ホテルです

ゴルブ=ドブジンGolub-Dobrzynはトルンからバスに乗ると1時間余りでアクセスできる古城の街で、ポーランドの田舎歩きを体験してみたい方におすすめです。ショパンは1824年にゴルブを訪れました。小高い丘にはゴシックレンガの厳つい雰囲気の城が見えますが、ここの最後の所有者はショパン家とゆかりの深いスカルベク伯爵家だったのはあまり知られていません。 続きを読む

スピチミェシュの花の道

ユネスコ無形文化遺産になった花の道

2022年6月16日はポーランドではカトリックの聖体節という祝日になっています。
この聖体節に関連した行事は各地でいろいろとあり、ワルシャワの西にあるウォヴィチのプロセッション(行進)は良く知られています。今日はもう一か所ご紹介したいと思います。
ポーランド中部のスピチミェシュという村の花の道です。
こちらが公式サイト(英語)です。写真もたくさんの載っているのでぜひごらんください!
https://spycimierskiebozecialo.pl/en/corpus-christi-2022/

そういえば、多分10年以上前に一度この花の道がついて書いたことがあったのですが、ほとんど話題にもならないまま時間が過ぎてしまったという感じでした。それが去年の暮にユネスコ無形文化遺産に登録されました。無形文化遺産に登録されるには、その「伝統」が今まで絶えることなく続いていることを科学的に証明する必要があり、多くの書類のほかに動画を添付するなどしてやっと登録となったそうです。

ユネスコ無形文化遺産スピチミェシュの花道

花の道ができたのはなぜ?

いなかの一年中行事であった聖体節の「花の道」ですが、実は200年余年もの歴史があり、地域の住民は聖体節の前になると総出で花道を作るのがしきたりになっています。もとは19世紀初めのナポレオン戦争に時代にナポレオン軍が村を通過すると聞きつけて村民が花道で歓迎しようとしたことから始まるそうですが、その時はあいにくナポレオンが違う道を通ったので、ナポレオンを歓待しようとした村民の花の道を見ることはなかったとか。

一体どうやってこの花の道ができるのでしょうか?

聖体節の前になると村人は家の庭や野原に咲く花をいっぱい集めます。ほかにも葉っぱ、砂、苔、草、麦の穂なども材料になるんですよ。これらを事前に作り上げた下絵の上に色のバランスを考えながら置いて行くことで1キロメートルを超えるすばらしい花のじゅうたんが完成するのです。聖体節には神様が祭壇から降りてくるといわれていて、神への敬意を込めて大人から子供までみんなが協力して作り上げて行きます。
ユネスコ無形文化遺産の登録によってポーランド国内はもとより、外国からも多くの信徒や旅行者が聖体節の日に年に一度だけしか見られないこの美しい花道を見に訪れるようになりました。
みなさんも来年お出かけになってみられませんか?

https://spycimierskiebozecialo.pl/en/corpus-christi-2022/

6/18は渋谷のポーランド・フェスティバル2022へ

やっとみなさんに2022年のポーランドフェスティバルのご案内ができるようになりました。毎年足を運んでくださっている皆さんも多いと思いますが、今年6/18にまたお会いできるのを楽しみにしています!ステージイベントはインターネット配信されるので遠方の方もご参加くださいね。 続きを読む

ワルシャワ発!第63回野外ショパンピアノコンサートのご案内

みなさん、こんにちは!
今日はワルシャワの野外ショパン・ピアノコンサートの話題です。
この2年間、コロナウィルスの流行で中断を余儀なくされましたが、今年はやっと待望のコンサートが5月15日に開催されました。これまで通り、毎日曜日に開催予定です。 続きを読む