ショパンの足あとが残るゴルブ城は古城ホテルです

ゴルブ=ドブジンGolub-Dobrzynはトルンからバスに乗ると1時間余りでアクセスできる古城の街で、ポーランドの田舎歩きを体験してみたい方におすすめです。ショパンは1824年にゴルブを訪れました。小高い丘にはゴシックレンガの厳つい雰囲気の城が見えますが、ここの最後の所有者はショパン家とゆかりの深いスカルベク伯爵家だったのはあまり知られていません。

このゴルブ=ドブジンから車で5分ほどのシャファルニアは、ショパンが友人の実家に行って夏休みを過ごした場所として知られています。今もショパン館(ショパンが訪れた建物は現存していません)があって、子供のためのショパンコンクールや定例コンサートなどが開催されているのですが、ポーランドの歴史に興味があったショパンはこのゴルブ城にも足をのばしました。

ショパンの話で少々脱線してしまいました。
それでは、今日の本題のゴルブ=ドブジンのお話に戻りましょう。
ふたつの地名が続いて町の名前になっているのは、昔ロシアとプロイセンの国境だったからです。
清流ドルヴェンツァ川がかつての国境でゴルブがプロイセン、ドブジンがロシア帝国側にありました。堅固な要塞のように見えるゴシックレンガ造りの城は1293年から次の世紀の初めにかけて築かれ、チュートン騎士団とポーランド王国軍はこの城をめぐって激しい争奪戦を何度も繰り返した戦場にもなったことがあります。

ゴルブ城はポーランド王ジグムント3世ヴァーサの時代に王の妹アンナから手厚い保護を受けたとされています。町の景観保護のために街路の清掃を義務化、自然科学に関心を持っていた姫は植物園を設置し、ポーランド国内で最初のたばこ栽培を始めるなどして、ゴルブはトルンに匹敵する商業都市として町の全盛期を迎えたのです。

その後、「大洪水時代」と呼ばれるスウェーデンの侵略戦争が起き、この荒廃の時代はゴルプ城をも巻き込んでゆきました。城は荒れ果ててしまい、その後は、オーストリア、プロイセン、ロシア帝国による三国分割統治時代を迎えて、その第1次ポーランド分割でゴルブはプロイセン領に組み込まれました。

亡国の時代にポーランドへの帰属を切望した住民の願いはフランス軍を率いたナポレオンによっていったんはかなえられました。プロイセンから解放を喜んだのもつかの間、ナポレオンの失脚によってゴルブではロシア帝国とプロイセンの国境の街であることを利用してプロイセンからロシアへの密輸や闇取引が横行するようになりました。ロシア帝国側は厳しい取り締まりを開始し、これによって密輸で上向きになったゴルブの経済は零落の一途をたどり、再び歴史的建造物の古城を持つ田舎町に戻ったというのがゴルブの歴史のまとめです。ゴルブ城から見たゴルブ=ドブジンの眺望

ゴルプは小さな町。街から丘を見上げるとレンガ造りの古城が見える

古城ホテルに泊まってみては?(画像提供: ゴルブ城)

ゴルブ城のなかにはホテルがあって、お手頃価格で中世の古城に泊まる体験ができますよ。
今のレートでシングルで5千円程度。2名以上で宿泊するとぐっと安くなります。
ゴルブ城古城ホテルの予約(外部リンク)

このお城のもう一つのアトラクションは中世騎士の一騎打ちや馬術などを披露する本格的なイベントがよく開催されていることです。来月の1日から3日には第46回の国際騎士トーナメント大会が予定されています。こういった中世の騎士関連のイベントは、実際に見たら本当にスゴイ!感動モノです。旅行の予定を立てるときにぜひチェックしてみてくださいね。

2022年7月1日~3日に第46回目国際騎士トーナメント大会開催

そう、ゴルブには町の広場にもう一つおすすめのホテルがあります。
三ツ星ですが実際はそれ以上❤ 映画VABANKがインテリアのモチーフの本当にステキなプチホテルです。公式サイトには写真もたくさん出ているのでごらんくださいね。
HOTEL VABANK オフィシャルサイト(外部リンク)

ホテルVABANK(ヴァバンク)

ホテル・ヴァバンクのレストランで。チキンフィレとほうれん草のコピトカ(ニョッキ)です。

自家製の超美味なベイクドチーズケーキ

YouTubeでお城からのパノラマをぜひともごらんください!

 

[ゴルブ=ドブジンへのアクセス]

トルンから北東にバスで40キロ、約1時間。
バス時刻検索(外部リンク)

[ゴルブ=ドブジンのその他の見どころ]

聖カタリナ教会(14世紀)
広場にある木造りの住宅(18世紀)
プロテスタント教会(1909年築)
堡塁(14世紀前半)

ゴルプ城公式サイトZAMEK GOLUBSKI (外部リンク)

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